サロン・ド・じの

サロン・ド・じの

90879
ジノ君のこと なんでも みんなでワイワイお話ししましょ!
ひとつだけお願い!
不適切と思われる書き込みは、管理人の判断で削除させていただくこともありますので、ご理解くださいね。

無料分かち合い公演1年目、SG wannabe キムジノ(女性中央 2013.12.11) - アッコリ

2013/12/13 (Fri) 09:04:47

ご無沙汰しています。
女性中央という韓国の雑誌の、ジノのインタビュー記事がとても良かったので、訳してみました
私の歌詞部屋にも上げましたが(http://blog.daum.net/soraayu)、
こちらにも^^

**********************
無料分かち合い公演1年目、SG wannabe キムジノ

http://mnbmagazine.joins.com/magazine/article.asp?magazine=204&articleId=JGTVX3SHSRE7FU

2013.12.11


誰かの手によって音を出す楽器ではなかった。
どんな時でも自分の声を出すために、誰も試みたことがない選択をした。
華やかな人気を置いたまま学校と病院で才能寄付をする、その男の話。


2004年デビューするや否やその年の新人賞を総なめにし、
ゴールディンディスク授賞式で3年連続大賞を受賞した男性3人組グループSG wannabe。
この中で一番幼いけれど成熟した歌声で大きな愛を受けてきたキムジノは、ここ数年間、他のメンバーと違いバラエティ番組の出演やソロ活動のない時間を過ごした。
歌手にはあまりにも長い3年という空白期間を音楽でだけ過ごしてきた彼は、今年初めグループデビュー9年目に初のソロアルバムを発売した。
これもやはり放送番組に出演せずにアルバムだけを出した彼が、病院と大学祭で無料公演を繰り広げているという噂が広がった。
彼にどんなことがあったのだろうか。


I(インタビュアー):お金と人気を放り出したアイドルスター

ジノ:3年の空白期間を過ごし、今年初め、デビュー9年目に初のソロアルバムを発売しました。
休みながら、毎月の家賃払いで自分だけの作業室を準備しました。(笑顔)
そこで作詞作曲の勉強もして、旅行にも行きながら3年という時間を過ごしました。
グループのメンバーであるヨンジュン兄とソックン兄が軍隊に行っているので、自然に自分のアルバムを作るための時間を過ごしました。
実は、長い期間準備したソロアルバムですが負担感は大きくはなかったです。
グループ活動をしていた時、良い作曲家から曲を提供され、自分達の話ではなく経験できてない感情を歌に代入してうまく伝えようとしていたグループ時代のほうが、より負担だったんです。
今は僕だけの物語を収めたアルバムで、話をするように歌を作ったので真情性が育まれ、すべての状況が楽になりました。


I:大きな人気を得ていたSG wannabe時代と今を比べると、その違いは何ですか?

ジノ:その時は熱くなろうと努力した時代だったんです。
とにかく歌手になりたくて目の前の不平や不満にも気付かなかったんです。
そうして大きな人気を得て、僕達によって派生されるお金とビジネスを横から眺めたら、その好きだった歌が仕事として感じられ、熱くなることができなかったんです。
それを悟った瞬間、歌手になっていた僕は、音楽の本質である真実性を取り戻すために心の中で地団太を踏んでもがいていたんですよ。


I:それで始めたのが現在の才能寄付活動なんですか?

ジノ:はい。そうです。大きなプロダクションで支援を受けていて一人になった芸能人達は、あまりにも簡単に崩れます。
お金と名誉を得るようだけれど、最も大切な自分で飛ぶことができる翼の筋肉を失います。
それで僕はその筋肉を再び甦らせるために、僕を望んでくれる大衆を訪ねて行き、お金を貰わず歌を聴いていただく才能寄付を始めたんです。

(彼が言う「才能寄付」を繰り広げる場所は全国の大学と病院。
学校と病院の共通点が無いように見えるが、キ厶ジノだけの勇気ある選択であり、今回のインタビューで、どこにも明らかにしていない、心が命じる話を聞かせてくれた)


I:少し前に1人のプロダクションを設立したけれど、特別なきっかけがあるんですか?

ジノ:一部のプロダクションでは大学のイベントの要請に渉外費として数千万ウォンという、とてつもない金額を要求します。
その渦中で学校とプロダクションをつなぐブローカー達もやはり中間で千万ウォン以上を横取りすることが再三だったんです。そのとてつもないお金で、むしろもっとたくさんの学生に奨学金をあげられるじゃないですか。
胸が痛むことですが、グループ活動をしながら、こういうことをプロダクションに所属する歌手としてはただ見守るしかなかったんですよ。
それでソロで活動したら、一番初めに数多くの大学生のために、お金を受け取らずに、僕の声が必要なところだったら訪ねて行って歌を歌おうと決意しました。
こういった決意は誰かの制約があったら絶対に実行できないので、少し前に1人のプロダクションを作りました。


I:どんなやり方で才能寄付を繰り広げているんですか?

ジノ:主に(大学の)学科のフェスティバルとサークルのフェスティバルにたくさん行きます。
別途に申込書を受け取るのではなく、僕のフェイスブックにメッセージで事情を送って下さった方の中で、切実な事情を送ってくださった方々のイベントに参加して歌を歌います。
このようにしたら、通常の日課が、深夜12時過ぎに家に到着して、明け方4~5時までその日に来た事情を全部読み、すべての方に最大限お返事を差し上げるように努力しています。

(大学のイベントに行ったら、むしろ自分が若いエネルギーをもらって来るのだと、いつも嬉しい気持ちで訪ねて行き、プレゼントをもらってくることがただひたすら嬉しいと話した。
そしてもう一つの才能寄付の場所である病院に関する話を始めた)


I:特別に、学校以外に病院にも公演に行く理由があったというんですが

ジノ:中学2年の時にガンで亡くなった父は、僕が才能寄付をすることになった最も大きな基準を残して行かれた方でした。
生前の父は良く言えば施すのがお好きで、悪く言えば無いものも作って与えられる方だったんです。
おそらく他の人に施すのを惜しまない性格を、僕も受け継いで歌を歌っているようです。
それで、父が長い間闘病された病院に愛着があり、闘病生活をしている患者さんと家族のために全国の病院を訪ねて公演をしています。



"愛の歌も良いけれど皆が共感する曲を書いて歌います"

周りの人のために歌う歌
彼は20代で再び違う痛みと向き合うことになる。
少し前に話題になったある地上波の歌の競演番組で、彼がSG wannabeの元メンバーチェ・ドンハのための追慕曲‘サルダガ’をテレビで歌って大きな話題を引き起こした。
SG wannabeが最高の人気で駆けていた2008年。
同僚チェ・ドンハはさらに素晴らしい歌手としての力量を大衆に見せるために脱退を決心した。
しかし3年後の2011年、彼は自宅で自ら命を絶った。


ジノ:ここ数年間テレビ出演がなかったけれど、少し前に歌の競演番組に出演しました。
KBSの‘不朽の名曲’に出演した理由は、僕には‘義務’でした。
まだドンハ兄がこの世を去ったことを知らない方が多くて驚きました。
大衆の前で歌を歌っていた一人の男がこのように簡単に消えてしまうのが、弟として胸が詰まったんです。
自分のためでなく、忘れられた歌手チェ・ドンハを水面の上に浮び上がらせようとテレビの舞台に上がったんです。

(この世を去る最後まで音楽が流れてくるイヤホンを耳に挿していた、音楽が全てであった故チェ・ドンハと一緒に歌っていた歌‘サルダガ’を一人で歌う彼の映像は、しばらくの間検索語上位にランクされ、大衆の心琴を鳴らす感動を贈った。
その日以後、再びキム・ジノはテレビ復帰をするように思われたが、それまでのようにすべての出演交渉を断った)


ジノ:作られた演出に合わせることができなくてテレビに出演できません。
あの時、番組でグループ時代の歌‘サルダガ’を歌ったんですが、ドンハ兄のために出演を決めました。
僕の放送が流れて、ポータルサイト検索語の1位にチェ・ドンハ、2位にはSG wannabeが上がりました。
ドンハ兄が再び刻印され、その下にSGワナビーが再び照らし出された瞬間、空にいるドンハ兄のために何かをしてあげられたようで満たされました。
そんな訳でテレビ出演はただ一度だけで良いと思います。


I:それでも時々過去の光栄が懐かしくないですか?

ジノ:昔のことです。紙面を借りてこの言葉を後輩の歌手達に伝えたいです。
誰かが作ってくれたカッコいい砂の城に入っていって大衆の関心を集める時代が永遠だと思わないでください。
それは言葉の通り砂の城です。小さな波にも崩れるのが常です。
この城から抜け出し、時間がかかってもきちんきちんと自分だけの城を作ったら、その城はどんな苦難にも崩れません。
僕もやはり砂の城で過ごしたので、今がより幸せです。
僕が建築したキム・ジノだけの城を守ってくれる、この1年間出会ってきた数え切れないファンの方々が今は僕の傍にいるからです。(笑顔)


I:どんな歌手として生きたいですか?

ジノ:生命力がある歌を歌う歌手になりたいです。愛の歌も良いですが、皆が共感する曲を書いて歌います。


しばらく後で京畿道のある大学の学科のイベントで歌を歌うキム・ジノに再び会った。
“この学校に社会福祉学科ができた後、一度も歌手の公演がなかったそうです。
ひとりの学生がこういった事情を長文の文章で僕にメッセージを送ってきたんですけど、心から僕を望む場所であれば、どこであれ行かなければならないでしょう” (笑顔)
キム・ジノは、明日は釜山で単独コンサートがあるのだが、格別な音響施設もない舞台と数十人の観客の前だったけれども、
数千人の観客が集まった公演会場に来たように満ち足りた姿を見せた。


舞台に上がった彼はマイクを持った。"皆さん、頭ではなく胸で聴いてください"
心に導びかれ、全国を回りながら歌声を広める歌手キム・ジノの歩みは、人気に振り回される既存のアイドルの世界とは違う感覚が伝わってくる。
彼があれほど願っている生命力のある歌だけを歌いながら生きているような。


華麗な音響装置やたくさんの人がいなくても、自分の歌声を望む場所は、キ厶・ジノにはいつも最高の舞台だ。


****************

出所 女性中央 2013年12月号

Re: 無料分かち合い公演1年目、SG wannabe キムジノ(女性中央 2013.12.11) - AIAI

2013/12/13 (Fri) 10:03:12

アッコリさん いつもありがとうございます。
読み進んでいるうちに涙が出てきて困りました。
それと同時に出会った時にジノから感じ取ったことに
間違いがなかったと思って・・・
何とも言えず胸が熱くなりました。
この頃のジノの姿に益々離れられなくなります~^^

Re: 無料分かち合い公演1年目、SG wannabe キムジノ(女性中央 2013.12.11) - アッコリ

2013/12/15 (Sun) 12:28:36

AIAIさん、コメントありがとうございます。
ジノは本当に自分の思いに忠実に生きていますよね。
時には心配になるくらいに・・・
でも、まだ若い彼が、もっと若い頃に経験した華やかな世界での出来事が、元々のジノの考え方にプラスされて
今のジノの行動になっているんでしょうね。
そんな事を思いました。

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
アイコン
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.